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物語を食らうモノ

Posted on 2019-04-27 | Edited on 2020-10-18 | In 日記 | Comments:
単語数: 980 | 読了時間 ≈ 1 分

僕ら、ヒトというものは物語を喰らわずして生きていけない。また、物語を喰らわないものがあれば、それは凡そヒト的ではないとすら思う。僕が言う物語というのは、何もフィクションの話だけではない。現実に起きている話でも、自分と直接関係のないのなら物語であると言って良い。ひとつ抽象化してしまえば、そこのフィクションとリアルの境目は途端に曖昧になり、切り分けること自体がナンセンスであると言えるかも知れない。いずれにしろ、ヒトというものは物語を食らう。母の昔話、飲んだくれの武勇伝、友達の噂話、夫が語る上司の愚痴、教師の宣う社会問題、知識人の思想、テロリストの宗教論、深夜アニメの色恋沙汰、漫画雑誌の冒険譚、それら全ては等しく物語だ。物語とは「僕の話」ではない。だが、同時に「僕の話」にすることもできる。この「僕の話」ではないものを「僕の話」にすることこそ、物語を食うことであると、僕は考えている。そして、最初に述べたとおり、ヒトはこれを無意識に、本能的に行為する。しかも、それを止めることは意識しても困難を極める。まさに、食事や睡眠の如くある。
しかし、食事や睡眠と違い、物語を食うことはあまりにも無意識的に行えてしまうが故に、多くのヒトはそれを無自覚に行っているように思う。[1]

自分が食通であると名乗るのは烏滸がましいかもしれないが、僕は物語を"美味しく"食べることを生きることのモットーとしている。そんな僕としては、物語が無自覚にただただ消費されていく世界というのは何とも悲しく感じるのである。また、無自覚に物語を食う場合、どうにも表面だけを食い散らかしてしまう。僕だって偶には犬食いもしたくなるが、常にそうであるならば、それはヒトとは言えない。ヒトは己を律するという自由があるからこそヒトであるのであって、そうでないなら獣に堕ちるものだ。自己が今、物語を食う"者"であるか、それとも"獣"となっているのか、そのことは常に考えて生きたいものだと思う。


  1. 何事にも中庸というものが有るように、物語を食うことにも過不足やバランスがある。そのことに注意しないと、食事や睡眠の過不足やバランスが崩れたときのような諸問題を引き起こす。無自覚に物語を食うことはそのような危うさも孕んでいると思う。 ↩︎

スリランカ同時多発テロの疑問

Posted on 2019-04-24 | Edited on 2020-10-18 | In 時事ネタ | Comments:
単語数: 1.3k | 読了時間 ≈ 1 分

2019年4月21日に発生したスリランカでの同時多発テロについて。
テロでは、イースター(復活祭)のタイミングで、教会や高級ホテルなどでキリスト教徒ターゲットに実行された。
テロの実行組織は、スリランカのイスラム過激派組織National Thowheed Jama’ath(NJT)[1]であるとされている。

基礎情報

スリランカは、その人口の内シンハラ人(74.9%)とタミル人(15.3%)が多くを占めている。
イギリスの植民地政策の影響から、この二民族間では対立があり、タミル人の武装組織タミル・イーラム解放トラとスリランカ政府とは30年近い内線状態にあった。また、シンハラ人には仏教徒、タミル人にはヒンドゥー教徒が多いことから、民族と宗教は不可分な形で対立していたようだ。内戦は2009年をもって終結したが、未だシンハラ人による少数派への弾圧など残滓がある状態にある。

スリランカ基礎データ | 外務省

疑問

今回のテロは、イスラム過激派からキリスト教への攻撃であるが、このベクトルが不可解である。
スリランカにおいてはイスラム教もキリスト教も人口の10%に満たない少数派である。過去には、シンハラ人(仏教徒)から、イスラム教への暴動などもあり、成り行きでイスラム教徒が矛を向けるとしたら、仏教徒が対象となるように思う。いくらか調べた限りでは、スリランカでキリスト教からイスラム教へ攻撃があったという情報は見当たらなかったため、やはり違和感がある。

憶測

このテロ自体はスリランカ自体で発生した動きではなく、外部からのエネルギーの注入があったのではないかと思う。それが、外部のイスラム過激派組織であるのか(外の)国家的な勢力なのかは不明だ。しかし、NTJ自体は2012年に設立した新しい組織であることや、規模の小さい(そもそも世界的に見ても名前が知られていない)ことから、今回のような同時多発テロを計画するには自組織だけでは力不足であると思う。計画には、それなりの専門家の知識が必要であろう。

これらはあくまで素人の憶測のため、疑問解消につながる明らかな情報がでてくるのが待たれる。


追記

と、思っていたらISから犯行声明がでたようだ。

Terrorists in Sri Lanka swore allegiance to Abu Bakr al-Baghdadi | FDD’s Long War Journal

動画は、スリランカのテロ容疑者とされるZahran HashimがAbu Bakr al-Baghdadi[2]に忠誠を誓うという内容になっている。

これで、少なくともイスラム過激派の国際ネットワークが関係していることは明らかになったように思う。ただ、そうだとしても、スリランカが対象になった理由は未だに釈然としない。中には、NZテロに対する報復であるとする見方があるが、リアクションとしては脈略の内容に感じる。

さらなる情報を待つ。


  1. National Thowheeth Jama’ath - ウィキペディア ↩︎

  2. ISILの指導者。自称カリフ。アブー・バクル・アル=バグダーディー - Wikipedia ↩︎

久しぶりに怒られた話

Posted on 2019-04-22 | Edited on 2020-10-18 | In 日記 | Comments:
単語数: 1.2k | 読了時間 ≈ 1 分

久しぶりに人に怒られた。その怒りは真っ当であり、僕が悪いものであった。
ただ思うのが、怒っている人と会話をするのはひどく精神がすり減るな、ということである。
(この一週間、他人を怒らせてしまったことが非常に心苦しく、何も手につかず、睡眠も覚束ない状態だった。)

今回、怒られ方で最も傷ついたのは対話拒否を突きつけられたことだ。
こうなると、もうこちらからはお手上げで、僕としてはしこりが残る結果にしかならなかった。
忘れるしか無いとは思っているのだが、他者からの拒絶とはコレほどに苦しいものだったか。

僕としては何ら悪意はなかった(通俗的な意味でも法律的な意味でも)し、今後こんなことはあってはいけないと思った。だからこそ、どういう行為がどういう影響をもたらしたのか明確にしておきたかったのだが、
「キミは悪いことをした。私は迷惑した。それだけだ。何がどう悪かったかなど、私はどうでも良い。」
と、言われてしまった。

かなしい。本当にかなしいことだ。

いや、こんなことは有り触れている事象ではあろう。ただ、僕は久しぶりに目の当たりにしてしまった。
そう考えると普段付き合っている友人や同僚に非常に恵まれていたし、みんな優しかったのだなと再認識できた。これは良かった。

そして改めて、自分の精神は非常に脆弱であることも分かった。どうも、人に嫌われることを極端に恐れているようだ。ああ、恐ろしい。嫌われるということはなんと暴力的なんだろうか。

いや、ちょっと待てよ。もしかして、これは彼なりの優しさだったのではないだろうか。
「悪いことをした」という事実は消えないのであるから、そこに対する追求はこれ以上行わないよ、という意思表示だったのではないだろうか。僕は物事がはっきりしない事の方が、後を引いてしまう質だが、彼は話をさっさと終わらせる事のほうが良いと考えたのでは。
そうなると、彼は僕が思っている以上に今回の件はどうでもいいと思っているのかも知れない。
むしろ、僕のほうが勝手に大ダメージを受けているだけなのかも知れない!
ただなあ、「キミのマナーやモラルの欠如が問題だ、常識のない奴だ。」みたいなことも言われたしなあ・・・。普通に怒ってるな。怒っていることは事実だが、矛は収めた事の意思表示ではあるか・・・。
確かに、彼が彼の最大限の力で持って対処しようと思えば、もっと面倒なことになってもおかしくなかったわけだし、憎しみや恨みまでは至っていない事を喜ぶべきか。
こんな事を言うと「お前は何をしたんだ・・・」と思われそうだが、僕としてはそこまで大したことでもなかった。だが、それは僕の認識であって、相手にとっては大したことであっのかも知れないし、それを確認したかったのだが、その前に会話が打ち切られてしまったからなあ・・・。

と、まあ、そんなことが頭の中でぐるぐると回ってもやもやが晴れないのである。
ああ、また今日もうまく寝れないんだろうなあ。

僕はもっと思いつきで書くべきだ

Posted on 2019-04-22 | Edited on 2020-10-18 | In 日記 | Comments:
単語数: 307 | 読了時間 ≈ 1 分

僕はもっと思いつきで文章を書くべきだ。これは前からずっと思っているのでが、どうしても外見を気にしてしまう。どうも数百文字書いた時点で「いや、これもっとまとめられるな・・・」と思い、キュッと圧縮すると数十文字くらいになる。そんな調子で書いてるとまた数百文字になると、またキュッとしたくなるのである。自分で書いていて、どんどん抽象化が進んでいき、こんな具体的なこと言ってもしょうがないし伝わらないか、と思ってしまう。今日から暫くは、バックスペースを禁じ手として文章を書いていこうと思う。もはや誰かに見せるためではなく、自分が文章を書くために練習。
それも、ほんとに"書くだけ"の練習としていこう。

はじめた

Posted on 2019-04-15 | Edited on 2020-10-18 | In about | Comments:
単語数: 1.2k | 読了時間 ≈ 1 分
最初の1ページ

経緯

僕がインターネットの海を漂いはじめてから約20年になる。あの頃から今日に至るまで、インターネットは相変わらず楽しい。そんな歴史の流れの中で、僕も少ないながらもネット上で発信を続けてきた。その変遷から、このサイトを作るに至った経緯を語ろう。

2000年代初頭、僕ははじめて個人サイトを持った。それはとれも自由でワクワクするものだった。僕の空間と表現がネットを通して世界中につながっているんだ。何でも出来ると思った。訳も分からずHTMLを書き、至る箇所を画像で装飾し、やたらと重いページを無自覚に作ったりしていた。(キリ番、BBS、流れる文字!)
しかし、そんな楽しいことも、時間が経つにつれ煩わしさに変わっていった。特に、ただ文章を描きたいだけなのに、HTMLに起こさなければいけないのは問題だった。同じ作業は退屈だ。それに加え、当時はまだ諸々の環境が整っていなかったこともありサイトの更新そのものが億劫になった。

それから00年代半ば頃にはBlogという形態が流行をみせた。記事の執筆も煩わしいHTMLから解放された。文章を書くにはただ文章を書けば良くなった。ただ、そうなると次は逆にその自由のなさがもどかしく感じ始めてしまった。一度個人サイトを持ってしまったがために、サービスから提供される汎用化されたデザインは、痒いところに手の届かない。(本当は痒くはないのだが、手が届かないところがある、という事実が、痒い気にさせる)

そうこう言っているうちに、次はSNSが流行り始めた。そこではデザインは完全にサービス側任せの固定品となった。もはや掻く手もなくなった。ここまでくると割り切って中身だけを気にすべきと思い、実際にそうした。だが、それから時間が経つにつれ、じわじわと、真綿で首を絞めるように、ストレスを蓄積していることに気づいた。

原因は、僕のではないという意識だ。

あるサービスを利用していると、どうしてもそのサービスの空気に引きずられていってしまう。そのサービスを利用しているユーザを意識してしまう。作ったものもはそのサービスの上にあるコンテンツとして見られてしまうことになる。データもデザインもあっちのものだ。

どれもこれも僕のではない!

そう考えると、自分は、手足には拘束具、口は抑えられて、目はぎょろぎょろ耳は妙に立っている、そんな気持ちになってきた。もちろんコミュニケーションツールとしてのSNSは評価しているし、ボソッと何かをつぶやける場も楽しいものだし、今後も使っていくつもりだ。
しかし、僕のがないのは嫌だ。インターネットの海に足を踏み込んだ時から、僕にとってネットと自由は不可分のものだったんだ。

えらく遠回りをしてしまったが、この結論に至れてよかった。
さて、問題解決の答えは簡単だ。あのはじめての、僕の世界(個人サイト)に戻ろう。

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Posted on 2019-04-14 | Edited on 2020-10-18 | In about | Comments:
単語数: 1.1k | 読了時間 ≈ 1 分
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© 2020 nanika_sheila | 単語の総数: 43k | 読書の合計時間 ≈ 39 分
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