形而上に生きる

思想でもって生きている人間、というのが好きだ。
その思想の中身の如何を問わず、凡そ個人の悩みとしては壮大で、ともすれば尊大な物を持ち、その事に自覚的でありながらも行動にうつしている人たちが好きだ。それが無為と言われようが、そのために生きられる彼らが好きだ。
世間に注目されるでもなく、市井で静かに己の思想を研鑽する姿は愛おしいものだ。

増田[1]で下記のような投稿があった。
トリアージ[2]
これ自体はネタ投稿[3]なのだが、"トリアージ"という言葉で思い出した事があったので紹介する。

以前、日本機械学会のコラムを読んでいて興味深いものがあった。
JSME談話室「き・か・い」No.120 「コンストラクタル法則とエントロピー極大をめぐって」|日本機会学会
著者は、エイドリアン・ベジャン「流れとかたち」[4]の翻訳本の解説をされていた方で、コラムではそれにまつわるエピソードが書かれている。前半はこの本の話だが、後半はこの本の読者A氏の投稿について語られている。これが面白い。

A氏は医務官であったが、"トリアージ(選別治療)"など戦場医療倫理に対する思想的葛藤を持っていた。その葛藤の末、倫理のあり方を、「世界のあり方」から求めようとしたのである。

僕の感想はコラムの著者に同意だ。

このような形而上学的苦悩から職を辞して、冒険的人生を歩もうとしている人がいるということは驚きであった。同時に日本もなかなか捨てた国ではないなという気持ちになり、私自身大いに勇気をもらった次第である。

A氏の話は難解で、恐らく僕に理解することはできない。だが、現代を生きる一人の人間が、人生を「世界のあり方」にかけて生きているという姿は、とてもドキドキする。

僕の好きな話のひとつなのだ。


  1. 「はてな匿名ダイアリー」の事。AnonymousDiary、アノニマスダイアリー。 ↩︎

  2. トリアージ - Wikipedia ↩︎

  3. 因みに、この投稿は、5-7-5の韻律で、最初5で名詞、あとの7-5でその名詞を説明するというお題であった。僕は「エトセトラ(ラテン語だけど訳すと等)」とコメントした。 ↩︎

  4. エイドリアン・ベジャン「流れとかたち」(2013)。べジャンの提唱する「コンストラクタル法則」という熱力学法則に対する啓蒙本。僕も流し読み程度に読んだが、中々面白い話であった。(言い回しがかなりくどく感じたが)「水は低きに流れ、人は易きに流れる」(これ原典は孟子?)とは、ちょっと違うけど、世界の流れが見えてくるようで楽しいお話でした。仕事で偶々「層流と乱流」について考えてる時期に読んだので、個人的にもタイムリーだったな、という思い出。 ↩︎