はじめた
経緯
僕がインターネットの海を漂いはじめてから約20年になる。あの頃から今日に至るまで、インターネットは相変わらず楽しい。そんな歴史の流れの中で、僕も少ないながらもネット上で発信を続けてきた。その変遷から、このサイトを作るに至った経緯を語ろう。
2000年代初頭、僕ははじめて個人サイトを持った。それはとれも自由でワクワクするものだった。僕の空間と表現がネットを通して世界中につながっているんだ。何でも出来ると思った。訳も分からずHTMLを書き、至る箇所を画像で装飾し、やたらと重いページを無自覚に作ったりしていた。(キリ番、BBS、流れる文字!)
しかし、そんな楽しいことも、時間が経つにつれ煩わしさに変わっていった。特に、ただ文章を描きたいだけなのに、HTMLに起こさなければいけないのは問題だった。同じ作業は退屈だ。それに加え、当時はまだ諸々の環境が整っていなかったこともありサイトの更新そのものが億劫になった。
それから00年代半ば頃にはBlogという形態が流行をみせた。記事の執筆も煩わしいHTMLから解放された。文章を書くにはただ文章を書けば良くなった。ただ、そうなると次は逆にその自由のなさがもどかしく感じ始めてしまった。一度個人サイトを持ってしまったがために、サービスから提供される汎用化されたデザインは、痒いところに手の届かない。(本当は痒くはないのだが、手が届かないところがある、という事実が、痒い気にさせる)
そうこう言っているうちに、次はSNSが流行り始めた。そこではデザインは完全にサービス側任せの固定品となった。もはや掻く手もなくなった。ここまでくると割り切って中身だけを気にすべきと思い、実際にそうした。だが、それから時間が経つにつれ、じわじわと、真綿で首を絞めるように、ストレスを蓄積していることに気づいた。
原因は、僕のではないという意識だ。
あるサービスを利用していると、どうしてもそのサービスの空気に引きずられていってしまう。そのサービスを利用しているユーザを意識してしまう。作ったものもはそのサービスの上にあるコンテンツとして見られてしまうことになる。データもデザインもあっちのものだ。
どれもこれも僕のではない!
そう考えると、自分は、手足には拘束具、口は抑えられて、目はぎょろぎょろ耳は妙に立っている、そんな気持ちになってきた。もちろんコミュニケーションツールとしてのSNSは評価しているし、ボソッと何かをつぶやける場も楽しいものだし、今後も使っていくつもりだ。
しかし、僕のがないのは嫌だ。インターネットの海に足を踏み込んだ時から、僕にとってネットと自由は不可分のものだったんだ。
えらく遠回りをしてしまったが、この結論に至れてよかった。
さて、問題解決の答えは簡単だ。あのはじめての、僕の世界(個人サイト)に戻ろう。