Greeting
おはようございます。ナニカシイラ(NANIKA_SHEILA)と申します。かれこれ20年ほどになるでしょうか、僕はこの広大なネットの海で漂う海月のようであったと言えるでしょう。ただ、流れに身を任せ、時には逆らったりしながら、明確な目的意識もなく、憤ったりしつつ、揺蕩う存在であります。はじめはプログラミングなんぞしてみたり、イラストを描いたり、音楽をやってみたり、粘土をこねたり、電子工作したり、哲学をかじってみたり、3Dモデリングしたり、まあ、こんな文章を書いたりして、それをネットにアーカイブしているわけです。そういう無頼でありまして、これからもそうであると考えております。また、そんな輩でありますから、その表現は如何せん軽い。言葉が軽い、行動が軽い、考えが軽い。と、こういう自虐をしてしまえるのが如何にもでございましょう。ただ、僭越ながら、僕にも挟持というものがありまして、これだけは譲れないというものがございます。それは、嘘はつかない、ということです。そのとき、その瞬間、自分がこうだ、と思ったことを表すということです。それ自体が間違っているか間違っていないかはわかりません。証明も根拠もありません。1日経てば考えが変わることもあるでしょう。ただ、そのとき僕はそれを信じた、ということだけは本当だ、ということです。この一点をもって、皆様には私がここで表現することを許して頂きたく思うのです。甲が信じ、甲が信じているということを乙が信じる。それが表現におけるセッションの確立でありましょう。だから、その甲が信ずるという表現の必要条件、最低限を満たしているという点をもって、僕はふてぶてしくも許しを請うているのでございます。以上、挨拶というなの釈明、基言い訳でございました。何卒よろしくお願い致します。
Concept
筆をとる。何を書こうか考える。ここで間違いに気がつく。目的と手段が逆転している。書きたいことがあるから筆をとるのであって、筆をとって書きたいことを探すのではあべこべだ。しかし、書こう。"これ"はなんだろう。どんなものになるだろうか。まずは、それを定めねばならない。
これは"手記"である。
批判に耐えうる論理はなく、凡そ建設的な提案もなく、ただ浅慮な思いつきを表す手記である。
これは"言い訳"である。
批判に耐えうる情熱もなく、凡そ積極的な行動もなく、ただ逃げ惑う臆病者の言い訳である。
これは"保身"である。
批判に耐えうる気概もない、凡そ広量的な許容もなく、ただ脆弱な自尊心を覆う保身である。
それが"これ"だ。
定める、などと格好をつけてみたが、なんのことはない、僕に書けるものは、"これ"しかないのである。
不安と焦燥に駆られながらも立ち上がらず、嘘っぱちの怒りを携えて、へらへらと気味の悪いニヤケヅラを浮かべ、ベタベタとした薄汚れた身体で、這いつくばっている。そのくせ、やたらと白い手に、真新しい筆を握り、ただ、
蠢いている。