プリパラの諸々

久しぶりに日記を書く。文章を書くたびに内容のクオリティを気にしすぎる癖がどうにも抜けない。そのせいで、まったく筆が進まない。日記くらい好きに描かせてほしい。これも性か・・・。

ともあれプリパラの話である。僕は今年に入ってからアニメ「プリパラ」に激ハマりし、日々プリパラのことを考える暮らしをしている。プリパラの何がそれほど魅力的なのか、という話は非常に重いテーマではあるが、端的に言えばあれが「神話」であるからである。所謂修飾表現としての"神"ではなく、本来の意味での"神"を描こうとしているのである。「主人公真中らぁらが神アイドルを目指す」というあらすじだけをみて安易に言っているわけではない。人類とは何か、神とは何か、人類にとっての神とは何か、これらを実に真摯に、かつ楽しく、描いている。台詞として言わせるのではなく、あの物語を経験すれば自然とそれがわかるつくりになっている。これは本当に凄いことだ。それは、僕が言葉で神がどうのと言えば、プリパラファンからは何いってんだコイツと言われるくらいに、それは自然に表現されている。しかも、楽しい。これもプリパラの大きな魅力のひとつだ。一見、というか見たまんまギャグアニメといって差し支えないアニメであるのに、掘れば掘るだけ中身が詰まっている。素晴らしいことである。そもそもの子供向けアニメであるという前提もあって、大枠の物語としては全く難しくない。「とりあえずライブしてなんか解決しちゃうんでしょ?」くらいの程度の理解でも十分に笑って楽しめるが、プリパラは重要なシーンでの手抜かりはなく、しっかりとしたロジックの元構成されている。制作者がそう言わなくても、僕はそう言う。

(ここまで話して全く具体的な話がないが、これから下でもそれほどしない。まとめようとすると非常に難しく・・・、というかそれが理由で日記を全然書けていなかったので、あえて書かない。)

何を言おうとしてたのかと言うと、アニメ「プリパラ」はすごいものだ。ということだ。みんな是非見てほしい。
なんて思いが高ぶり、最近は会社でプリパラの布教活動をしている。おかげで、3人位は見てくれるようになった。内1人は1st season(全38話)を完了している。良いことだ。

しかし、布教活動とは言い得て妙だ。プリパラの本質は宗教に近い。
というと、何か誤解を生みそうである。そういえば、こういうのも最近見た。

「なろう系ファンタジー世界において宗教の力が極端に弱い」!?神絵師の分析が深かった! - Togetter

これ、まとめのタイトルで"神"絵師という言葉を使ってるのは、何か比喩的な、或いはシニカルな表現なのだろうか?という疑問は脇に置くとして、現代日本人が宗教に弱い、というのは実感としては同意できる。宗教に対するイメージが乏しいため、僕が無邪気に「これしゅーきょーみたい!」なんて喜んでると悪い方向に勘違いされかねないくらいだ。だからこそ、プリパラが宗教じみているなどといえば、ファンにもそれ以外の方にもネガティブなレスポンスを受け取ることになりそうだ。布教に成功した相手も別に宗教観があるタイプの人間ではないので、僕が神を語ればドン引き間違いNothingである。プリパラの素晴らしさをより多くの人に知ってもらいたい、という一心で布教していたが、いざ踏み込んで解説しようとすると、折角本編を見るようになった相手まで引かせてしまう蓋然性があるのである。なんというジレンマ・・・これは読めなかった~!(東堂シオン並感)

というか、神がどうの以前にアニメの解説って一般的にどこまで理解があるものなのだろうか?

今日、こういう記事を見た。

料金高すぎ、集中力もたない… 「映画館離れ」した人たちの声 | マネーポストWEB

10分も集中力をもって映画を見れない、という話がでてくる。これ自体はn=1なので殊更どうこういうつもりはないが、似たような話は身の回りでも聞く。この10余年でアニメの視聴層が変容した事に伴って、アニメの見方自体も変わってたりするんじゃないか、と思っている。ちょっと前にアニメ好きの若者と話した時も、大好きな作品でも監督を知らないとか、時短のために2倍速で見てます、とか堂々と言ったり、いや、これもまたn=1だし、人の楽しみ方は千差万別、その在り方になにかいうつもりもないのだが、自分や同世代以上の友人とは大分ズレてるな、とは思ったのである。そういう世間の中で、物語の構成やロジックについて言及したとして、果たしてどれだけその作品の盛り上がりに貢献できるのだろうか。プリパラを見てくれた同僚に、構造的な激アツポイントを僕が説いたところで、そもそも構造で激アツになるという事自体が理解されない可能性があるのじゃないか。だとしたら、宗教云々の前に、僕のプリパラ語りたい願望は最初から満たせなかったのではないか。語らずに落ちていたのだ!

だったら、ここで語ればいいじゃん?とは僕も思うし、できればそうしたい。だが、どうにもネットで何か語るのが、こわい。間違っていたら、という恐怖もなくはないが、どちらかというと間違った言説が流布してしまう事がこわい。いくら拡散されても、拡散したのは僕じゃないし、関係ないよね??という太い神経が僕にはない。それが自分の好きなものであればあるほどである。いろいろな方に申し訳が立たない。不甲斐ない思いをしそうだ。いや、これも言い訳だろう。こんなインターネットの場末が何を間違っても広まることはないし、更に話題がプリパラとなれば、可能性は0に等しい。結局、叩かれるのがこわくて何も言えないだけなんだと思う。批判自体は甘んじて受ける。というかむしろくればうれしいのだが、最近は本当にどうしようもない言葉でざくざく刺したいだけのリアクションをみかける機会が多く、それに僕の精神が耐えられそうにない。こわい。特に、実際に間違っているところを傷口を広げるように刺してくる言葉がこわい。苦手だ。それに耐えうるように、できるだけ曖昧な表現を排除して、データを揃えて、堅牢な言論にしよう!とすると、とてつもなく労力がかかる。僕にはその体力がない。(ぷしゅ~)何か言うと、何かこわいことがおきそう、だから、こわいことが起きないようにしようとするのだけど、それがすごく大変で、結局何も言えない。という坩堝に落ちている。なんなんだこれは!

あーもう、暗い話はやめやめ!今はプリパラの話でしょ。といいつつ全部プリパラに関わる自分語りの"諸々"なので、別に筋は外れてないぞ。というか、初っ端に戻ったのだ。ふふ。

そろそろ収拾がつかなくなったので、僕が描いたアロマゲドンの絵を貼って、おしモアイ!です。
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