10才のYouTuberにみるロボット
「不登校は不幸じゃない」10歳のユーチューバー 沖縄から世界に発信「ハイサイまいど!」 - 琉球新報 - 沖縄の新聞、地域のニュース
そろそろ波も落ち着いた頃なので言及したい。と、言っても、彼の行動や表現の是非や彼の親がどうのという話はしない。多くの人にとっては細かいことで、どうでも良いと思う事についてだ。要は、僕の感想だ。
上記記事内おいて気になった箇所を以下に引用する。^1
担任の言うことを聞く同級生もロボットに見え「俺までロボットになってしまう」と、学校に通わないことを決意した。
僕がここに違和感を覚えたのは、”ロボット“の解釈についてである。ここで言う”ロボット”とは産業用ロボットのような労働力としてのロボットを指しているだろう。マスターの命令に忠実なスレイブとしてのロボットだ。これの何がおかしいのかと言うと・・・、僕には子供の頃に、こういう”ロボット”の解釈がなかったからだ。
僕にとって、ロボットというのは「人類の叡智の結晶」「科学と進歩の体現者」「人を超えたモノ」であって、「人」の下にくるという印象が全くなかったのだ。^2何なら僕は、ロボットになりたかった。いや、今もなりたい。人間にはおおよそ処理できない計算結果を瞬時に叩き出し、人が到底持てない重量物を軽々と担ぎ上げ、損傷しても部品交換ですぐに直り、病気にもならず半永久的に生きることが出来るのである。子供にとって、ロボットとはそういうカッコいい憧れの存在だと、思っていたのだ。しかし、件の彼の発言ではロボットは単なる労働奴隷に成り下がっている。^3現代の子供にとってロボットとはそういう存在なのか、はたまた大人がロボットとはそういう存在だと教えたのか定かではない。ただ、何れにしろ子どもたちがロボットをそういうものだと思ってしまっているなら、実に寂しい気持ちになるな、というのが、この記事を読んだときの、僕の想いであったのだ。
昨今、機械学習の発展からAIも少し進歩したというのだから、むしろ、今の子供達にとってこそ、ロボットについて馳せた想いが現実になる可能性が高いだろうに。いや、それは僕の願望がすぎるか。^4(終)